ねこさいんの足跡

にゃーんの翻訳

だるい/緩い旅の話/断捨離の話

連休も終わり、いつもの生活が始まった。普段の生活が特別に辛い訳では無いが、たらたらと毎日を送っている。朝は起きなくちゃいけないし学校に行かなくちゃいけないし大概のことはだるい。こんなにだるいことを習慣化した人類ってつくづくすごいなあと思う。人類は頑張ったなあと思う。頑張った個体の生存バイアスによって、普通の基準も上がってしまったのだと思う。(上記の文章はは5月6日に書かれたものを公開し忘れたものです)

 旅に行けば全てが解決するように思うというタイトルで書こうと思ったのにこんなグダグダになってしまった。まあ旅に出るのも荷造りだの宿だの交通だのだるい。すいてる電車で本でも読みながら出かけ、おいしいものを食べ、自分で掃除しなくてもこざっぱりしているビジネスホテルに「外こもり」して、朝食バイキングを堪能してまたすいてる電車で帰る、という旅ならあまり疲れなさそうだ。しかし、自分の場合、結局遠出したら食堂探しに凝ったり、ゆっくりプレイスを探したりと何かにつけて忙しくなる傾向があるのであまり期待できない。かといって、ものすごく近場のビジホ泊まるのもちょっと無駄遣いしている感じがあって気が引ける。結局休みの日でも、綺麗な空間を求めて外食チェーンか喫茶店か図書館に行くことが多い。引きこもっていると運動しないし。自室がこざっぱりしていればいいんだが、なんだかんだ散らかっている。客観的には散らかっているのがわかるのに、いざ片付けようとすると、床の「定位置」にものがあることに落ち着きを感じているので不思議だ。思い切って模様替えでもすればいいのだろうが、インテリアとは縁の少ない生活をしているので、そもそもこれをこうしたいという原動力がない。インテリア雑誌を読んでいると、「調味料を市販の容器からモノクロの容器に移し替えて何が楽しいんだろう、塩と砂糖間違えないのかな」みたいなことばかり考える。ワンルームで本だらけという条件があるので、「書斎 インテリア」とか「趣味部屋 インテリア」で検索した方がまだ参考になる。あとは高齢者の終活に向けての断捨離本も最近よく目にするので手に取って見てみる。「昔好きだったもの」「思い出の品」を手放しづらい私にとって結構参考になる。あまり使わないものでも捨てようと意識すると、ここで使えるのでは?とか寄付はどうだろう?とかいろいろ考えてしまう。思い出と執念の詰まったものや(昔から好きだったがスマホ買った瞬間に読まなくなった本とか、絶好調の時に使っていたシャープペンシルとか)、貰い物、再入手が難しそうなものはとくに捨てづらい。ほんの6年、7年前の本とかでも絶版は普通にあるのでぞっとする。おそらく、自分の執着を全て抱えるためにはどれだけ広い部屋でも足りない気がする。ワンルーム落ち着くんだがなあ。